「こだわり」と「固執」

最初に言っておきますが、「理屈じゃないんだ」という、「食の好み」や、「恋愛感情」等を議論する気は無いので、私と話すと面倒くさいと思わないように、お願いします。

 

セミナーで講師として説明している時や、仕事の話を同僚としている時に、「そこまで気にしなくてもいいのではないか」とか、「そこって、気にしなければいけない部分なのか」というセリフを言われることがあります。

 

私にとっては、「そこを無視すると、本題を議論する意味が無い」と思うからこそ、その指摘された部分を、より深く説明したり、徹底的に必要性の説明を求めたりしているつもりなのですが、かなり話さないと伝わらないことが往々にしてあります。

※最終的には、「理解してもらう」or「私が納得する」というところまで行きます(笑)

 

逆に、聞いている立場の際に、「なぜ、自分の話している内容を改善しないのか」と不思議に思うことがあります。

 

その人にとっては、その内容に思い入れがあるのか、その人の価値観なのかはわかりませんが、私が理解できないので、理路整然と論破していきます(しているつもりです)。

この場合の反応は三つあって、「自身が話した内容の改善を行う」「妥協案を提示する」「議論することを放棄する」のいずれかになっているように思います。

 

前者は「こだわり」で、後者は「固執」だと思うのですが、皆さんはどう思いますか?

違いは、「根拠に基づいていたり、論理的であること」と、「根拠が無かったり、論理的でないこと」だと思っています。

感情に基づく判断は、論理的であることの方が少ないはずなので、そこを議論する気はありませんが、論理的でなければならない「福祉用具選定」や「営業」、「車いす安全整備士の作業手順」、さらには「製造物の企画」等、現時点で私が仕事上で関与する内容については、「こだわらなければならない」と考えています。

 

ちなみに、朝起きて出勤するまでの間に、スマホにダウンロードしているアプリゲームのログインを行い、ログインボーナスをもらうという、私の日課は、私が「固執」している部分です。

それに費やす時間、あるいは削られる睡眠時間について、論理的な展開はできません(笑)

 

人は、誰もが「固執」する部分を持っているのは当然だと思います。

理解できないことを、「固執」と括ってしまうことは問題があるかもしれません。

 

例えば、どんなにアルコールを摂取しても、ハイになれない私にとって、酔ってグダグダになる人が、そのことを客観的に理解していたり、指摘されているにも関わらず、いつも同じようにグダグダになってしまうほどに、アルコールを摂取することを全く理解できません。

「酔いたい」という想いを理解できない私の方が、「損な人生だ」という理解の仕方もあるかもしれません。

 

だから、この例は「アルコール摂取に固執している」のではなく、趣味嗜好の範囲なのかもしれません。

ただ、家計が圧迫しているので節約しなきゃいけないと言いながら、呑みに行くのは、趣味嗜好ではなく、「癖(へき)」であって、改善することはできないのではないかと・・・

 

あなたが行っている行動、あるいは話している内容は、「こだわり」ですか?

それとも、「固執」ですか?

あるいは、「癖」ですか?

 

私の認識では、「固執」はメリットが無いだけでなく、デメリットが多いので、気を付けるべきだと思っています。

「〇〇癖」は、その人が楽しくて、周囲に迷惑や不快感を与えていなければ、人生のエッセンスとして重要なのかもしれませんが(笑)

 

徒然なるままの駄文でしたm( _ _ )m

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