性善説・性悪説

公共の場において、日本人は「お行儀が良い」とか、「我慢強い」というイメージが強いそうです。

東北震災と津波の後、救援物資を譲り合いながら、見ず知らずの他人とも協力し合っている姿が、海外メディアでも大きく取り上げられたことから、そのイメージがついているそうです。

 

人間という生き物を判断する際、性善説と性悪説の話が出てきます。

孟子:性善説 = 人は生まれた時は善だが、生きていくと悪行を学ぶ

荀子:性悪説 = 人は生まれた時は利己的欲求だが、生きていくと善行を学ぶ

という内容です。

 

話は戻って、震災後の日本人の行動に対する海外メディア(コメンテーターかな?)の言葉です。

「なぜ暴動が起きないのか、わからない」

その人の中では、「生きるためなんだから、火事場泥棒してでも生き残るべきだろう」という価値観に基づいた言葉だったんじゃないでしょうか。

 

私個人は、「自分本位な部分があるのは当たり前、自分本位だけでは社会では生きていけないのも当たり前。上手に使い分けることが大事。」と思っています。

 

自分本位であるとするのは、性悪説でいう「利己的欲求」という観点なのかもしれませんが、人間が生き物として存在している以上、生物としての三大欲求である「食欲・睡眠欲・性欲」がなければ存在できないのですから、それを利己的と言われると、生き物として存在することを否定してしまうことになってしまいます。

 

生き物としての三大欲求ではなく、社会的三大欲求で「名声欲・金欲・物欲」となると、性善説の考え方で利己的欲求と判断してもいいのかもしれません。

 

なぜ、こんなことを書きだしたかというと、些細なきっかけなのですが・・・

先日、指定席の公共機関で移動中、私の後ろに4人組のマダムが乗り込んできました。

位置関係は、わたしの真後ろの2席とさらにその後ろの2席でした。

 

乗り込むやいなや、「久しぶりだわ~」とか、「遅れるのが嫌だから、今朝は午前3時に起きたのよね~」だのと、ワイワイMODE。

 

とりあえず、着席したと同時に、「あぁ、こういう時は、携帯電話のマナーMODEに設定しなきゃダメなんだよ」「私の携帯って、どうやってマナーMODEにするんだろう」と、さらにワイワイMODE。

 

早朝だったこともあり、他の乗客は誰一人声をあげていません。

いや、正確には、停車して乗車している時とその直後は声がするのですが、走り出すと誰も黙って、寝ている?かスマホをいじっている状態です。

ちなみに、時刻はAM6:40~7:00です。

 

乗り込んで30分ほどは、わたしも「久々の行楽は、小学生の遠足気分でも仕方ないさ」とおおらかな気持ちで見守っていましたが、乗り込んで30分を過ぎ、一向に収まらないハイテンションに・・・

 

「チッ (←舌打ち)  うるさいなぁ」

 

言うつもりは無かったのに、心の声が漏れるという人生初体験でした。

 

0.5~1秒ほど、ピタッっと止まったご歓談は、さらにハイテンションで続きました。

 

さらに10分程騒音に耐えた上で、振り返って「もうちょっと声のトーン下げてもらえませんかねぇ」と精一杯の穏やかさで、眉間のしわを隠せないまま、相手を直視しながら言ってしまいました。

 

心の中では、「ガラケーだかスマホだか知らないけど、機械のマナーを気にする前に、お前自身が社会のマナーを守れ!!!」と思っていたので、眉間のしわは、その気持ちがおそらく顔に出ていたんじゃないかと思います。

 

驚いた顔をしながら、何を返答してくることもなく、4人のおしゃべりはピタッと止まりました。

 

この4人は、性善説、性悪説のどっちなんでしょう。

生まれ持ってピュアだったのに、公共機関で騒いででも気にならない人達(一緒に旅行に行くほどの仲良し)と混じっている内に、周囲に気を配れない人達になったのか。

もともと、自分達が楽しければ良いという性分だったのか。

 

おそらくは何年かぶりにオシャレをして、仲の良い友達とふんぱつして旅行に出かけたであろう、5~60歳あたりのマダム達の、間違いなくテンションが上がるであろう楽しい行事の一コマに対して、私の注意は、社会的マナーという私個人の価値観を一方的に押し付けたことになっているとも考えられなくはないのですが、この場合は、性善説、性悪説のどっちなんでしょう。

モラルとは社会によって異なります。事を大きく言うと、戦争は双方が「正義」で、双方が「悪」です。通常は勝った方が「正義」だと扱われます。

 

誰も声を発していない公共交通機関の環境では、社会的モラルとして静かにするものなんですよと、教えてあげるというのが「正義」なら、表情が変わるほどムカついていた私の行為は、個人的感情からきた押し付けという「悪」なのかもしれません。

普段、ご近所さんとだけの付き合いで、移動する公共機関という密閉された環境を使用することなく、数十年過ごしてきた人達に、社会のマナーという観点を求める事自体、無理があるのかもしれません。

 

第三の説 = 人は生まれた時は利己的欲求で、そのまま善行を身につける事もない。

 

欲求が人類を進化させてきたと言われます。

「より多く」、「より早く」、「より便利に」

資本主義の基本的な考え方も、「もっと~」がなければ成立しません(個人の見解です)。

 

でも、「WIN&WIN」あるいは「三方得」でなければ、健全な経済活動の継続は不可能だとも言われている以上、「もっと~」だけではダメだと言うことも事実です。

 

だからこそ、資本主義の中で生きている以上、「自分本位な部分があるのは当たり前、自分本位だけでは社会では生きていけないのも当たり前。上手に使い分けることが大事。」に行きつくんじゃないのという、個人の見解でした。

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