自分はまだ「成長」できる・・・のか(笑)

先日、ある出来事でふと、「あやまることって、難しいのかなぁ」と感じたことがあります。

ここで言う「あやまる」は「謝る」であり、「ゴメンナサイ」という意味です。

なぜ、自分の非に対して行う「あやまる」という行為が、「感謝」の「謝」なんだろうという他に気になったこともあったのですが、それはさておき。

 

この「あやまる」という行為。皆さんも一度くらいは、「内容を検討する前に『ごめんなさい』と言ってしまうと、自身に非があることを認めることになるので、安易にあやまってはいけない」という話を聞いたことありませんか?

 

訴訟問題に発展するような場合、例えば自動車事故だったり、クレーム対応だったり、あやまる前に事実確認を行い、責任の割合や被害の算出をしなければならないということは、社会人としての一般的知識であるようにも私は思っています。

 

人は誰もが、怒られるのはイヤでしょうし、責任を取ることによる不利益は避けたいというのは、特殊な方を除いて、通常の一般的な心理だと思います。

児童心理学で、子供を酷く叱ることによって、その叱られた恐怖心が理由で、何か問題を起こした時に、自分は悪くないということを必死にアピールするようになるという、一種のトラウマによる行動を起こすことがあるそうです。

「悪くないアピール」に留まらず、ウソをついたり、詭弁を弄したり、あの手この手で自分への責任負荷を無くそうとするのですが、所詮子供なので、見え見えなその策は大人に見破られ、さらにこっぴどく怒られる。

で、さらに自分の非を認めなくなるという、負のスパイラルです。

この負のスパイラルを続けていると、責任逃れのウソや詭弁が真実であるという勘違いを脳内で処理するようになってしまうこともあるそうで、非常にやっかいなまま年齢だけは大人になっていく人達がいるという内容を読んだことがあります。

とっても残念ですが、「頭脳はコドモ、体はオトナ」という、探偵キャラの真逆を体現していることになっていますね。

 

ふと考えたのですが、私だって生身の生き物なので、怒られるのも責任をとることもイヤです。それがウレシイという特殊な感情は持っていません。

だからこそ、何を想定しておくべきなのか、問題が起きないためにしておく事前準備として何をすべきなのか、といったことを限りなく考え、選択し、行動を行うというステップを踏んでいる(と、思っています (^^;)のですが、それでも思った通りにならない時や、不測の事態による失敗はあるわけです。

その場合は、自分として出来るだけのことをして、それを上回ることが起こったのだから、仕方ないと、諦めて受け入れ、その経験を踏まえて、同じ事は繰り返さないようにするという行動をとるのですが、ここでふと・・・

「諦めて受け入れる」の「諦める」って、何を「諦めるんだろう」と思ってしまいました。

 

普段からよく自分が口にする言葉で、『「とりあえず」は嫌い』という言葉があるのですが、同じくらい「諦める」という言葉も好きではないので、自分の思考回路にひっかかってしまったのです。

 

で、しばらく考えた結論、「諦めて受け入れる」ではなく、「状況を客観的に受け入れて、責任をとる覚悟をする」というのが、正しい言い回しだなということで納得しました。

だから、責任を問われたくなければ、あらゆる結果を想定して、事前に考えられる手は全て打つ。それでもダメだったら、自分の思慮が足りなかったことを悔いながら、次回に活かす。

 

これって、思考能力向上の自己啓発セミナーとかでもよく言っているらしいですが、

「自分がダメだったとか、自分はまだまだ出来ていないことがあるということを客観的に受け入れた時点からでなければ、人は成長できない」

という考え方なのでしょうね。

自己啓発的に能動的に言い方を変えると、

「自分がダメだったとか、自分はまだまだ出来ていないことがあるということを客観的に受け入れた時点で、人はまだまだ成長できる」

ということです。

 

以前このブログに記載させていただいた澤村先生にように、本当に優れた人物は、奢ることなく、常に謙虚な姿勢でいらっしゃるので、改めて、自分の行動と思考回路を見直そうと思ってしまいました。

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